憲法改正は必要ない ~天皇編~

 高校の頃、よく政治について話をしていた友人がいた。わたしはそのとき憲法改正は絶対に必要との認識を持っていたため、その友人にたびたび自身の改憲案を見せに行っては解説をしていた。大学に入り、特に連絡をしていなかったのだが、わたし自身に憲法や社会構造についての認識が大きく変わり、ふと友人と話をしてみたくなった。友人に電話をかけ、あの頃のように政治の話をし、わたしのスタンスが改憲不要論者に変わったことなどを話すと友人は不愉快そうな声色になっていた。友人は以前よりも改憲論者になっていたのである。その際は、なぜ憲法を改正しなくてもよいのか詳しくは話すことができなかったため、友人に見せる訳でもないのだが、ここで特に天皇に関する条項について憲法を変える必要はないこと、それに至った自身の思想などを述べていくことにする。

 

解説を要約すると、

憲法がなくとも、基本的に、現在の天皇の置かれている立場は説明することができ、それは日本全体の歴史から言って相応しく、特に変える必要はない。

 

※数学的な説明の仕方のため、読みにくいと思うがご了承いただきたい。

 

1.天皇の地位と役割

天皇の地位は、伝統的・慣習的に国民が認めてきたものであって、国民の信頼に基づき、国民の中の一身分として存在するといえる。よって、天皇は、国民が不信感を持つような行動を控えることが適当といえる。

天皇の地位は、日本国の存続と同一的な関係にあるため、日本の歴史や文化[1]を象徴するものといえる。よって、天皇の地位は、日本国を象徴し、国民の一体感を象徴するといえる。

天皇が、その象徴的な役割を果たす点で、対外的に日本国と国民を代表する立場にあるといえる。

天皇がその象徴的な役割を果たす活動には、公共性・公益性を有し、国民の一体感を高める事柄が適当であるといえる。よって、天皇は、政治的・経済的に公正で中立的な立場にあることが適当といえる。

 

以上のように考えたのはなぜか。日本国憲法では、天皇の地位を「日本国の象徴であって日本国民統合の象徴」であると明記している。私は、この象徴という表現は日本国全体の歴史からいって、天皇の地位を適切に表していると考える。以前の明治憲法では、天皇の地位を「天皇ハ元首デアツテ統治権ヲ総攬スル」存在とされていた。元首とは、「国内的には統治権,少なくとも行政権を掌握し,対外的には国を代表する権能をもつ[2]」存在であるとされる。天皇立憲君主制と適合させるために、このような表現になったのであろうと推測される。ただ、この表現が日本の歴史全体の天皇の地位を表しているかといえばそうではないと考える。天皇が元首のような政治の中心の立場に立ったことは、歴史全体から言えば数少ない。むしろ天皇がみずから政治を行わないという歴史の方が長いだろう。例外はあるものの、武家による政治が中心の時代から天皇は実権を持たない政治上儀礼的な立場になった。これは、現在の天皇を象徴とする政治体制とほとんど変わらないと言えるのだ。このように天皇を「象徴」と表現するのは歴史全体からいって適当であると考えられるのである。

では、第一項について詳しく見てみよう。当たり前だが、天皇は日本国民がいなければ存在しえない。天皇とは日本の歴史の中で脈々と受け継がれてきた、国民の中の観念のようなものである。これも当たり前の話だが、天皇は私たちと同じ人間である。ではなぜそのような立場にあるのかというと、先人たちが伝えてきた「天皇」という文化を私たちが受け継いできたからである。それがここでいう「伝統的・慣習的に国民が認めてきたもの」ということである。ただ、仮に国民の中に天皇に対する不信感が募った場合、単に天皇という立場を認めることは難しいだろう。これは、現在の天皇制への賛否にも関わる要因の一つである。そのため、「伝統的・慣習的に国民が認めてきたもの」ということだけでなく、「国民の信頼」についても天皇の地位を支える重要な要素として記したのである。「国民の中の一身分」という表現についても、日本国民あっての天皇であり、天皇もまた日本国民の一部であるとして、このように表現したのである。

さて、第二項について詳しく見てみよう。天皇の地位はもともと大王と呼ばれており、いつ誕生したかはっきりと分かっていない。ただ、はっきりと言えることは、古墳時代以降、天皇の地位は存在し続けており、歴史上日本人が生み出した文化の中で最大級の長さを持つということである。そのため、天皇という存在からは日本国の歴史的な長さを感じることができるのである。これが、「天皇の地位は、日本国の存続と不可分の関係にあるため、日本の歴史や文化を象徴する」ということなのである。では、「国民の一体感を象徴する」とはどういうことか。脚注にも述べたように、国家や国民といった概念を構成する要素として、その国にまつわる歴史や文化があると考えている。例えば、私たちが自身のことを日本人だと考えるとき、日本の風土や、これまで習ってきた日本の歴史、特有の文化を思い起こすのではないだろうか。同様に、相手が日本人かどうか判断するとき、日本語など自分と同じ文化を持っているか確認するのではないだろうか。このように、国家や国民を説明する上で、歴史や文化は重要な要素であるといえるだろう。そのため、天皇の地位が歴史や文化の象徴であると言える以上は、日本国や日本国民といった概念も象徴する存在であると言うことができるのである。では、なぜ日本国憲法で記されている「国民統合(の象徴)」ではなく、「国民の一体感(の象徴)」という表現を使用したかというと、同じ歴史を共有する以上は、国民として一つであって、バラバラなものが一つにまとまったわけではないからである。

では、第三項・第四項について詳しく見てみよう。先ほどは天皇の地位が日本国や国民を象徴することを証明したが、実際のところ、天皇の行動次第では象徴に相応しくないと思われる事態が起きても不思議ではない。仮に天皇が一般人に暴行を働いたとして、その天皇に対して国や国民の象徴であると見なすことは難しいだろう。そのため、天皇には国や国民の象徴に相応しい行動が求められるのである。では、象徴に相応しい行動とはどういったものかというと、国民の模範となるような生活態度や、天皇から日本国や国民といった概念を連想することができるような国全体に関わる事柄などが挙げられるだろう。国民の模範となるような生活態度としては、基本的に国民にとって好ましくないような行動をしないことが挙げられるだろう。一方で国全体に関わる事柄としては、例えば、今上天皇のように、国民的な行事や式典に臨席したり、被災地に訪問して国民との交流を図るなど、公共的な事柄に関わったり、国民全体のために活動することを通して、国民の一体感を感じることができるような活動を行うことなどが考えられるだろう。これが、「天皇がその象徴的な役割を果たす活動には、公共性・公益性を有し、国民の一体感を高める事柄が適当である」ということである。また、仮に天皇が政治的な事柄に関与する場合、基本的に「公共性・公益性」と「国民の一体感」を損なわない範囲ならば、現憲法が定める天皇の国事行為のような、国際親善のための外国との交流や、形式的・儀礼的な形での関与は問題ないと言えるだろう。言うなれば、これが、「天皇は、政治的・経済的に公正で中立的な立場にあることが適当といえる」ということである。経済的な立場に関しては後述するが、このような象徴に相応しいと言える活動を天皇がするとき、外国からすると天皇が国や国民を代表するような立場にあると認識していてもおかしくはないだろう。これが、「天皇が、その象徴的な役割を果たす点で、対外的に日本国と国民を代表する立場にある」ということなのである。実際、外国政府は日本における天皇の立場を受けて天皇国家元首と同様の扱いをしている。必ずしも国内の立場と外国による扱いは一致しないということである。なお、天皇の国内での立場を元首と表現してもいいのではないかというと、必ずしもそうとは言えない。明治憲法下において天皇の地位が元首として政治的に利用されてきた歴史を振り返ると、現憲法のように象徴と表現した方が天皇の歴史全体における立場をより適切に表現することができるだけでなく、天皇の地位を不安定にしないことにもつながるため、元首と表現することは不適切であると言えるのである。

 このように、天皇の地位は「象徴」と呼ぶに相応しく、それを基に天皇の象徴に相応しい行動について考えたとき、現在の状況と同じような天皇の立場が浮かび上がってくるのだ。次からは、天皇の政治的・経済的な公平性・中立性をより具体的に説明するために、「公務の性質と責任」と「皇室経済の制限」の2点について簡単に取り上げることにしよう。

 

2.公務の性質と責任

天皇が政治上の事柄に関与する場合は、天皇の象徴的役割と以下の理由により、形式的・儀礼的なものに限定することが適当といえる。

1.政治上の決定に伴う責任が天皇に及ばないようにするため

2.歴史上、天皇でなく時の有力者の方が政治の実権を握ることが多かったため

3.天皇は「国民の天皇」であり、特定勢力による天皇の政治的利用を防ぐため

天皇が政治上の役割を果たす際には、補佐する組織から受けた助言と承認に従うことが適当といえる。よって、天皇の政治上の行為における責任は、補佐する組織が負うことが適当であるといえる。

 

 第一項について見てみよう。天皇が政治的な事柄に関与する場合、第一章で説明したように、国際親善のためや形式的・儀礼的な形に限定することが適当だと言えるが、象徴という側面以外からも説明することができる。例えば、一つ目の「政治上の決定が天皇に及ばないようにするため」という事項については、戦後すぐにあった天皇の戦争責任の有無のように、連合国によって天皇が政治の実質的な決定者だとして天皇政治責任があると捉えられ、天皇の地位の存廃に関わる重大な事態に発展するおそれがあった。そのため、天皇が政治の実質的な決定権を持っていないこと、それゆえ政治責任を持っていないことを恒常化する必要があると言えるのだ。では、二つ目の「歴史上、天皇が政治の実権を握ることが少なく、時の有力者の意に任せていたため」という事項については、先ほど恒常化する必要があると述べた、いわゆる政治の実権が、実は歴史的に見ると、天皇ではなく藤原道長徳川家康のような時の有力者が掌握していた期間の方が長い。恒常化する必要があると言ったものの、歴史的に常態的であったのは天皇が政治の実権を握っていない状態であり、むしろ明治憲法下のような天皇の立場は特異であったと言えるだろう。では、三つ目の「天皇は「国民の天皇」であり、特定勢力による天皇の政治的利用を防ぐため」については、現在、天皇を権威と力のある存在として現状の立場を変更しようとする勢力がいるが、第一章で天皇が国民の中の一身分であると述べたように、天皇という存在は日本国民によって受け継がれてきた大切な文化であり、日本国民全体にとっての大切な存在であって、一部の特定勢力のものではない。現在では教育の発展によって国民は政治についての一定の知識を持ち、政治に参画する機会が保障されている。これまでのような天皇に頼る政治はもはや終わったのだ。天皇には、国民と交流し、思いを共にする行動を通して、国民に寄り添い、国内の安定に寄与してもらうことの方が、私たちにとってより親しみある存在になると言えるのではないだろうか。

 では、第二項について見てみよう。先ほど政治責任を持っていない状態にする必要があると述べたが、仮に責任が生じた場合、誰が責任を取るのかという問題が生じる。そこで、天皇が政治に関与する場合、儀礼的・形式的な形であっても、補佐する組織や機関からの助言や承認を得て、それに従うことが必要になると言えるだろう。つまり、すべての責任はその補佐する組織や機関が負うことになるからである。

 

3.皇室経済の制限

・皇族がその地位を利用して営利行為をすることは、公正な市場競争を確保する点で不適当といえる。

・皇室への財産の一極集中や、財産の授受による皇室と特定勢力との結びつきを防ぐため、

1.皇室財産は、皇室の規模、皇族の生活や活動に必要十分な規模とすること、

2.皇室財産は、皇室の私有財産を除き、国が管理・運営すること、

3.皇室財産の授受は、私的経済行為などの場合を除き、国が監督すること、が適当といえる。

・皇室の費用は、皇族の生活や活動を安定的に支えるため、国の支出とすることが適当といえる。

⇒以上の3項目より、私有財産を除く皇室財産は基本的に国の所有とすることが適当といえる。その際に国有化された旧皇室財産は、皇室の規模、皇族の生活や活動を考慮し、皇室が所有する必要があると認められる場合に限り、国の監督の下、皇室に譲渡することができるよう認めることが適当といえる。

 

 本章は基本的に現在の皇室経済の制度とほとんど変わらないため、皇室経済に関する国の資料をご覧いただければ幸いである。

 

[1] 国民としての自覚や国家の帰属意識に関わる要素。ここでは、現在まで受け継がれてきた、国家や国民といった意識の根底にある共通の経験(=歴史や文化)、いわば自分の体験を超えた集団に関わる経験・記憶を共有している状態と定義している。

[2] 元首(げんしゅ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 https://kotobank.jp/word/%E5%85%83%E9%A6%96-60642